結局、ルールは「自分だけが守ってる」分には何事も起きないけども、「他人に強要する」「指摘を始める」と、ちょっとした戦争を覚悟すべき事案ではある。特にローカル・ルールと言われる明文化されていないもの。いや、もし明文化されていたとしても、だけど。

マナーやエチケットと呼ばれるものも、それを広めたいと考えるときは、それなりに反発もある。だって、どんなものでも清濁あわせもつものだから、完璧なんてない。自分に馴染むかどうかでしかない。今まで、そうした縛りなくやってきた人間にとっては、それがいかに「みんなのためになること」だとしても煩わしいものでしかない。

でも自由と自分勝手は違う。相手のルールを変えたいなら、交渉が必要とされる。そして交渉は譲り合いが必要になる。自分がいくら納得してても、相手が納得してないなら、交渉は決裂してしまう。 そこから先は戦争でしかない。どんな戦争も、やるからには命かけにゃならん。

真剣味が足りないひとが多い。何気なく、ひとに戦争を吹っかけるひとが多いよなあと。それを口にしたら、もう相手は止まらなくなるだろ!ってことがあるのを理解しようともしない。踏み込む。平気で土足で荒らす。でも、 それだけのことをしてる自覚が足りない。だから、戦争がこじれていくこともある。

生きるのは枝の張り合いでしかない。自分の得のために、相手を損させても押し通すことはある。もし、損をさせたと思うのなら、ほかのところで、相手に得をさせて埋めあわせる。 これが義理と人情じゃないの。損ばかり食わせて、それで人間の関係は成り立たないだろうに。得を感じさせないなら、それは意味ないしね。

そうやって、ぶつかりあって、自分の大きさを知る。誰とも当たらないで生きていこうとしたら、よほど狭く小さく生きなくちゃいけない。それでいいのなら、任せるけども。息苦しくって仕方ないよ。自分を殺してるようなものだもの。本当にそれでいいのかなって、不安になる。もちろん、無理やり出てこいよとは言わないけども。

ただ根本的に交渉のできないひとは、たまにいるよね。交渉の本質を理解できずに勘違いしてるひとは多い。落とし所は最初から提示するもんではない。結論から話をはじめるのはありだと思うけども。でも、交渉における結論は「どこを譲り合いますか」だから「希望条件の提示」をするもんであり、「自分はこの辺を譲り合ってくれたら嬉しいです」を提示する。それは「最終的な最低条件」を出すもんではない。

マルマルの場合は、バツバツである。しかしサンカクサンカクの場合は…、みたいな分岐した意見をそこから詰めていくものだと思う。これをせずに、全部を一律化して画一的にやろうとするひとはほんと交渉をする気がない。

「自分の場合はこうだからこうだ」としか考えないひとも、上に同じ。交渉の余地がない。頑固過ぎるのも困りものだ。戦争をして、自分を通すことは我儘の一言でいいんだろうか。自分しか世界に居ないようなその在り方は独裁といえる。

自分の意のままに操れる奴隷だけを周りに固めて生きていくんだろうなあ、そういうタイプ。それはそれで幸せな世界なのかもしれない。関わりたくはないけど。

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