11歳の哲学者・中島芭旺氏は、すごいフェイスブック受けが良さそう。こういうのみんな好きだよね。はるかぜちゃんを思い出す。ゆとり教育がやりたいことをするためには、「学校から抜け出す」のが一番なのだろうという体現者にようにも見える。

学校でいじめられたので不登校。その代わりに自宅学習をしているのだという。そのやり方は、いろんな握手会などに積極的に参加しにいき、気になるひとたちと話を聞くということ。なるほど、面白い。これぞ経験学習のあるべき姿だ。ゆとり学習はかくあるべき。

ゆとり教育支持者なんですよ、ぼく。「ゆとり教育」って悪いところばかりがピックアップされているけども、ゆとり教育の目指したものは「それぞれが得意分野を持ち、それを伸ばす教育」のはず。詰め込み教育は優秀なネズミを大量生産するけども、巨人を生み出すことができない。

つまり、共通の一般教養の基準は高い。でも専門教養をやっている暇がなくなる。ケーキでいえば、スポンジの部分が高く高く積み上げられているのだけれども、デコレーションがまったくされていない。特別な輝きをもっていない。誰を選んでもハズレはないけども、大当たりもない。それが詰め込み教育が生み出す人材の特長。

もちろん、持って生まれた才能はあるけども。その才能を大いに伸ばすことができないのが難点。ゆとり教育をうまく働かせれば、日本人から天才がバンバン生み出されるはず、と期待されていたと言える。事実、空力学を理解する中学生なども生まれていた。報道されている量は恐ろしく少なかったけどもね。

だって成功してほしくない勢力がいるのだもの。

結局、ゆとり教育は学校教育では実現できなかったってことなのかな。数年前に中学校の教育実習をした際、総合的な学習の時間を自習の時間にしている実態を見て、「あ、これ詰んでるわ」状態になったのを記憶してる。教師が全く対応しきれていない。それは教師の責任も多少はあるのだろうけども、一般家庭のゆとり教育への理解もない。システムとして、どうしようもない状態だったといえる。

バカロレアではないのだけれども、大学入学資格を別途設けて、それを取得すればどの大学でも入れるようにすればいい。受験産業はすべからく駆逐されるだろうけども、それでいいんじゃないの。出版業界、塾業界、大いに圧力がかかっているが今の日本の姿。本当に「偏差値」は必要な基準なのか。

日本にとっては資源なんて、人材しかないわけだ。それを育てる教育に特化すべきなのではなかろうか。

広告