岩手では、中学校二年生がイジメを苦にして電車に飛び込んだ。栃木では、子どもをイジメられた親が、その子を守ろうとして相手の親に苦言を呈した所、その親にイジメられて自殺した。

イジメ。

ぼくは小学校の頃、イジメられていた。静かに自殺未遂をしていたし、不登校もしていた。ただ脳みそが拒絶しているらしく、その頃の記憶はさほど思い出せない。だけれども。その恨みの炎は20年近く経った今でも燃え続けている。きっと、一生忘れることはないだろう。イジメた側は全く気にもしていないだろうけども、ね。

ぼくは全面的に、イジメに関してはイジメる人間が悪いという持論を持っている。イジメられる側だから当然といえば当然。イジメる側にはつまらないお話ばかりだから、イジメる人間はこれを読んでもつまらないだろう。でも読め。

ぼくのイジメは何故無くなったんだろう。うちの母が相手の母に物申したのも大きかったように思える。学校への相談はあったけども、うちの学校も岩手の学校よろしく役に立たなかった。親同士の話し合いがあった後はマシになっていたけれども、暫く経てば戻っていったように感じる。ぼくの場合は、イジメの主犯が肺炎になって入院した。それがきっかけで、イジメは改善したような、ぼんやりとした記憶がある。

これはあくまで、学校という閉鎖空間で行われているイジメに関する場合だ。栃木で行われた時代遅れの村八分のような親イジメはどうだろう。これもまた、村という閉鎖空間が生み出したイジメであることは言うまでもない。

閉鎖空間。これが、イジメにおけるキーワードだ。

「メダカのいじめ現象」というものがある。メダカは小川で泳いでいる分にはイジメなんてものは起きない。だが水槽という閉鎖空間の中で飼い始めるとメダカはイジメを始める。イジメをしているメダカたちをどんなに取り除いても、メダカはイジメ続ける。イジメられているメダカだけで集めてもイジメは始まる。

人間はメダカではない。だが閉鎖空間に生き物を閉じ込めると逃げることの出来ない弱者はイジメられる。そして、イジメから逃亡する為に、この世界からの逃亡を考えるようになり、自殺する。少なくとも、ぼくの自殺未遂はそんなような理由だった。

そこには勇気も何もない。逃げたい一心。勢いがあるかないか。理性が保たれているかどうか。死ぬ時、ひとは理性をかなぐり捨てているだけなんだろう。

メダカレベルだからイジメが起こる。イジメはイジメっ子がイジメなければ起こりえない。なのだから、イジメっ子とはすなわち強者なのだ。強者が小物だからイジメが発生する。王者の風格を身に付ければ、イジメなど起きないだろう。

人間的に未成熟でお粗末なくせに、力を持ってしまった人間が、イジメを生み出している。だから、イジメはイジメっ子が全面的に悪なのだ。

岩手の中学生をイジメ殺した人間は、イジメについてテレビの取材に応えた女の子に舌打ちをしたと聞く。学校もその女の子を厳重注意したそうだ。栃木の二人をいじめ殺したイジメっ子の親たちも反省などしていないのではなかろうか。

反省なんてしたら、その罪悪感に押しつぶされてしまうから。だから、目を背けようとしている。見ないふりをしていれば、いつか、その噂も消えてしまうと本気で信じている。勘違いしないで欲しい。

イジメをされた人間は、その怒りの炎を死ぬまで燃やし続ける。いつか復讐してやると、どす黒い怒りを心に満たし続ける。そして歪んでいく。

イジメが楽しいのかどうかは知らないけども、辞めた方がいいよ。リスクが大きすぎる。自分の人生をめちゃくちゃにしてやると心から誓う人間を生み出している自覚ぐらいは持った方がいい。

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