この世には「難しい問題」は存在しなくて、”難しくなってしまった問題”が転がっている。いろんな問題が積み重なって、作用しあって、そうして難問へと成り果てる。ならば、因数分解をすればよいのだ、と。そういう話を聞いた。因数分解というと、それだけで、もう身構えてしまうひとも多いだろう。簡単にいえば、割り算をすることだ。

世の中は、なんだかんだで四則演算で動いている。足すか、引くか、掛けるか、割るか。問題は放っておけば、足されて足されて、掛けられていく。それを諦めるのが引き算で、でも、引き算をする前にまずは割り算をしなくちゃあいけない。それらが、本来はどんな問題の塊なのか。そうした本質を見ぬかねばならない。

ただ、ひとつ厄介なのは、今目に見えている問題には、それが本当に求めるモノというのが存在する。学校のお勉強では、今目に見えている問題だけを解決すればよかったのだけれども、それだけをするのであれば小間使いにしかなりえない。常に生産的にあらねばならない。常に建設的な答えを求め続けないといけない。

なんとなくの、ぼんやりとしたものでも、それなりの答えは出る。でも、それが最適解であるかどうかは別だ、という話だ。

囲碁をやったことはあるだろうか。あれをやってみると、局所的戦術と、大局的戦略の必要性を肌で感じる。局所的には解決できても、大局的には敗北的結果になっていることはある。本当にそれをすべきなのか。それをした結果、それはどうなるのか。投げっぱなしにしていてはいけない。全て自分がボールを持っている状態で走って行くことを考えてやるしかない。

ただ、この感覚で恐ろしいのは、相手の力量を考える必要があるのだ。恐ろしく性能の高い人間が、”自分ならばできる”を突きつけるとワタミのように労働の苛酷さでで命を断つひとが現れてしまう。だからといって、過小評価し過ぎると、その人物の成長を妨げることになってしまう。

問題を投げる方も、問題を解決する方も、因数分解は大事だ。それをきっちりやらねば、誰もが不幸に成り果てる。気をつけよう。割って割って割り尽くそう。そうすれば、絡まった問題ほど、よく分かる。よく見えるはずだ。

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