水木しげる大先生が民話を映像化すると、その説得力の高さは他の追随を許さない。なんでだろう。考えてもどうしようもないような、そんなレベルなのかしら。構図、演出、画風。どれもこれも、良いよね。本当に、完成されている。

もちろん、水木しげる大先生の場合、そうした日本文化に関係しているものだけがよいわけではない。絵としてのクオリティはそもそもに高い。でも、そういう話じゃあない。その民話を語り聞かせる上で、最も必要な要素がきちんきちんと配置されている。その事実。この事実に驚かされるのだ。

妖怪千体説というものが、水木しげる大先生の持論だ。どの国の妖怪も、分類ができる。分類していくと、どんな国でも、千体ぐらいになる。日本のねこまたが、ヨーロッパなら、ケット・シー。姑獲鳥とハーピーなどなど。こういうことをしていくと、千体はいるので、この辺りで止めておく。

関東水木会の一員でもある、作家の京極夏彦先生は、コラムのなかで、妖怪千体説も突き詰めれば妖怪一体説なのかもしれない、と仰られた。つまり、人類の魂の根底とも言えるものがあり、そこから生まれいでるのが妖怪のカタチなのだから、根本はひとつなのだろう。ひとつであるから、千体になるのだろう。そういうことだったような記憶がある。違ったかもしれないが、まあ、そういうことだ。

そうなってくると、水木しげる大先生はたびたび、こうした伝え聞かせる漫画を描くときは、誰かに脅されて描いていると、作中でボヤいていたことがある。京極夏彦先生のいう、そのヒトツノモノが、水木しげる大先生に描かせているのかもしれない。

今回の遠野物語も、きっと、あの手この手でヒトツノモノが水木しげる大先生に描かせたのだろう。遠野物語を執筆した柳田國男は、ゲゲゲの鬼太郎に大いなる影響を与えており、柳田國男が蒐集した妖怪たちは、すべからく善玉妖怪とされている。ちなみに、悪玉妖怪は鳥山石燕の描いた妖怪たちだ。

ぼく的には、ビッグコミックでこの作品が連載されているのを見た時、「やっときたか-」と思わず呟いた。水木しげる大先生が好きなひとはもちろん、民話好き、妖怪好きも読んで欲しい。必読して欲しい。それが、この「水木しげるの遠野物語」である。

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