現代は情報氾濫社会と呼ばれる。なんだかおっかない世の中だ。だから右を見ても左を見ても眼をつぶっても膨大な情報がそこかしこを駆け巡っている。でも、そのどこの馬の骨ともわからない情報を鵜呑みにしているのなら、きっといつまでも知識に溺れ続けることになるだろう。受け売りしかできないアンポンタンになるのが関の山だ。

知識は手に入れただけではいけない。知るだけでなく、理解らねばならない。そうじゃないなら、その知識の持ち腐れでしかない。ドラクエでもゲットした武器や防具は装備してようやく意味がある。そういうことだ。

知るというのは料理で言えば材料を集めること。だから、まずはその材料が良いものか悪いものか質を見極める必要がある。でも、どうやって情報の質を理解するのか。これは材料と同じだ。まず自分に必要なものであるかどうか。より必要であればあるほど質は高いだろう。

その上で、その情報の発信者が誰であるのかを見極める必要がある。誰が、何のために、どういう風にして、その情報を作ったのか。これを考えないなら腐った情報を平気で垂れ流す情報公害施設に成り下がる。

質の良い情報をきちんと手に入れられる環境を手に入れただけではもちろんいけない。手に入れた情報を骨身にしなければいけない。骨身にするには自分なりに調理するのが一番いい。インプットしたのだからアウトプットしなくちゃ意味が無い。その時、「どうやってアウトプットすればいいのかわからない」なんてひとがいる。

これも料理と一緒だ。「誰のためなのか」「どんな味付けをするのか」を念頭に置けばよいのだ。

情報を蓄積ばかりしてもデータベースにしかなることはできない。情報は活用してナンボだ。活用して、活用して、そうして自分の得意な活用方法を見極めることができる。同時に、自分が必要な情報はどんなものなのかも見えてくる。

自分は何者であるのかの本質を知ることで、必要なものが見えてくる。必要じゃない情報をガツガツ食べても、それは全て贅肉となるばかりだ。もちろん、おやつとして摘む程度にはよいかもしれないけども、やっぱり主軸として必要な情報はなんであるかを考えながら情報は摂取するようにした方がいい。

なんせ人生は有限なのだ。時間が無限にあるわけではない。効率的に必要な栄養分を摂取するように、情報も選り分けて手に入れる必要がある。

もちろん、一番最初は自分が何者かもわからない。だから悪食でなければいけない。雑食でなければいけない。好き嫌いせず、ガツガツばりばり食べることが必要だろう。そうして、いろんな味を知って、いろんな情報源を手に入れる。それでようやく情報活用技術が身につく。

この技術は一朝一夕で身につくものではない。それを身につける為に、手間暇をかけねばならない。色んな書物を手当たり次第に読んでみることも必要だ。ツイッターやTVのように、自分では見つけてくることのできない情報を与えてくれるツールも大いに使いこなす必要があるだろう。それだけして、やっと一歩を踏み出すことができた状態だと考える必要がある。

こんなことやってられっか!面倒なんだ!というひとも多いだろう。それならばプロの情報屋を頼ればいい。でも、頼るからには対価が必要だ。それは「プロと認めるなら対価を払うのが礼儀」だからだ。自分が情報を扱うのに向き不向きどちらなのか。

まずはそれを知ることが必要なんだろう。

広告