知らぬを聞くも聞かぬも恥は恥

自分はそのことについて何の知識も意見も持っていないのに「それってどういう意味?」と聞いてくるひとがいる。”聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥”を実践しているのかなあ、とは感じる。んでも、ちょっと待って欲しい。それ、どっちも【恥】だってことに気付いているのだろうか。だいたいWEBを利用しているってことは、グーグル検索を利用することができるはずだ。ヤフー知恵袋のような質問サイトやWikipedia、その他にも個人ブログがある。それらを見れば理解できることも多いだろう。それらをきちんと知った上で相手に聞くのが礼儀であり、自分のためにもなるだろう。

とても当たり前のことだが『聞かれたことを答える義務』は基本的にない。そりゃあ、そういうお仕事をしているのならある。だが、それはちゃんと月謝やらなんやらの対価が支払われているはずだ。だからちゃんと答える。そうした関係性もないのに「おい、聞いてるんだから答えろ!」ってのは、もう知識の強奪だ。強盗だ。野蛮にもほどがある、知性の欠片もない行動だと気付いて欲しい。そもそも教えるのにも手間暇がかかるわけだし。

聖人君子のようなひとはいるから、延々と教え続けてくれるひとはいる。でも、この世界にはそんな底抜けのお人好しばかりではないことは頭にいれておいて欲しい。

とはいえ、調べただけでわかったつもりになるのも怖い。どんなことでも答えはひとつではないのだから、いろんな答えを知る必要がある。「誰かに聞いたから、それが正解」と思い込むのは危ないし、「いろいろ調べてみたから、それが正解」というのもどうかとおもう。或いは「自分はこんな体験をしたから、これが正解」なんてこともない。すべて正解なのだ。正解は多様にある。そのことを理解した方がいい。

学校教育のせいなのかな、とは感じる。正解がひとつに設定されている問題ばかりに触れる。でも、何故そんな問題ばかりなのかといえば、教師が採点しやすいからだろう。実社会で問題に突き当たった時、いろんな問題解決の形はあるものだし、そこに至る解決方法も様々なものがある。

「学習転移」という事象がある。ひとつの経験から類推して問題解決に至る事象のことだ。和食を作る練習をすれば洋食を作る際に利用できることがあったり、C言語を勉強したひとがPHPやJAVAも理解しやすいことがあったり、日本の妖怪を勉強すれば西洋の妖精にどんなものが居るのか理解できたり、そういうことだ。

問題解決の成功率を高める為には、より多くの「問題の本質」と「問題解決事案」を知ることが必要だ。そうして頭のなかに大量の要素を詰め込むことで、問題解決力が上がっていく。勉強をするときは、それらを蓄積することだときっちり理解する必要がある。学問へと繋げる勉強をしなければ時間の無駄だ。そういう意味で、勉強をすることに無駄はないのだと言いたい。

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