ライターをしていると、「そんな仕事、俺でもできるぜ」とドヤ顔してくるひとがいる。いや、当人はそんなつもりはないのだろうけども、「俺もライターになれるかな」と気軽に聞いてくる。もうそれは、「できるだろ。ん?どや?」というニュアンスだったりする。そりゃあ、日本語は理解できるのだろうけども、ライターの仕事は文字が書ければいいってもんじゃあない。

ライターの仕事は、物事を理解し、要点をまとめ、その情報をわかりやすく整理整頓する。その上で、誰に読ませるかを考えて、そのひとに通じやすい文章表現を心がける。カンタンに言えば、こういうお仕事だ。料理人と似ているのかもしれない。食材を集めて、それがどんな特性があるのか理解し、美味しさを抽出する為に抽出する。それを見栄え良く整える。誰が食べるのかに合わせて、味付けや調理方法を変えることもあるだろう。

料理であれば、それが友人であっても身内であっても、きちんと対価を払うひとが多い。ところが、物書きや絵描き、そうしたものになった途端、対価を払う必要なんてないと考えるひとがほとんどだ。曰く、「作るのにお金なんてかかってないんだから、時間しかかかってないでしょう」とのこと。感謝の言葉さえいえばそれでよいとでも言いたげだ。

そもそも、そのひとの時間を使うということは命そのものを使うということだ。人生の一部を使わせたのだから、それ相応の対価が必要となるのは言うまでもない。それにくわえて、その時間はそのひとが生計を立てる上で必要な技術を行使させているのだ。同じ仕事量を他ですれば数万円の報酬が得られる可能性もある。

それをタダ働きにさせていいと考えているのなら、それは友人ではなく奴隷扱いだ。いや、奴隷だって賃金は発生する。奴隷以下の扱いだ。家畜だって飯は食える。罪人のようなものじゃないか。ぼくはそんな酷いことをした覚えはない。なんのつもりなのだ。

ぼくら、手に職をつけた人間は、その手に職をつける為に、必死こいて色んな経験を得る為に時間と金をかけてきた。色んな本を読んで勉強し、色んな場に出向いて修行した。だから、それなりの仕事ができる。できるという自負がある。もちろん、普段世話になっていれば、その腕をふるうこともあるだろう。でも、それはこちらが決めることであって、相手方からタダでやれよと押し付けられるものではない。ていうか、そんなことされたら、安く見てんじゃねえと殴りつけたくなる。

おそらく、きちんと手に職をつけて、それで飯を食うようなひとならば、対価が無ければ動かないだろう。そうでなくホイホイと動く人間がいれば、それは金に困っていない成功者か、そもそもプロではない人間だ。

プロぶっているだけだ。プロにとっての技術は、たとえ親でも金を払えと要求すべきものなのだ。その代わり、仕事自体はきっちりやる。当たり前だ。だからプロなのだ。

WEBライター案件ではプロのライターは求めていないことが多いと聞く。プロのライターの技術に見合った報酬を用意できないのが主な理由だろう。素人たる友人たちが求めている技術はプロの技術ではなく、素人に毛が生えたような、その程度の技術なのだ。だから、報酬なんて必要ないと本気で考えているのだ。そうでないなら、バカにしているだけだろう。

プロがプロとして動く以上、対価が必要だ。プロが対価もなく動けば動いた分だけ、安く見られるのが世の常だ。初回サービスでお安く動くなんてことはあるけども、その安価な報酬だけで動くことを求められれば、その案件は切り捨てるべきだろう。

ぼくの考えるプロは、他人の幸せのためにすべてを投げ出す聖人ではない。ましてや、なんでもかんでも言いなりのお人好しでもない。報酬があるから動く。報酬がないなら動かない。そんな、とても分かりやすい、そうとても分かりやすい義理人情の世界の住人なのだ。

そうじゃないという方も多いかもしれないけども。いわゆる作家なんて生き物は、己のルールで生きているから、誰も彼も間違ってはいない。ただ、ぼくにとっての”正しい”はこの認識で、それ以外は全て間違っている。たったそれだけのことに過ぎない。

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