ツイッター上で、数年以内に原因不明のオナラが流行ると警告する妖怪スカベや、けつの穴ほじくって舐めろと要求する妖怪カキオトコの話をした。妖怪に関しては、中途半端なものを見るといらだちを覚える。ニワカが嫌いなのではない、やるからには本気でやろうという気分になる。これもひとつの「オタクがジャンルを殺す」なのかもしれない。でもいいんだ。妖怪のブームは江戸時代からずっと終わってないから。日本が滅びない限りは妖怪文化は途絶えることはないから。だから、いいんだ。妖怪ウォッチも容認派だしね。

そんな妖怪キチガイのぼくなりに、水木しげる大先生の著書「日本妖怪大全」と睨めっこをして知名度が低そうで、かつ面白そうなものをPICKUPしてみた。もっと「婆」「小僧」「女」だの、「音」「予言」だの、そうしたテーマ付けをして妖怪まとめ記事を作ってみるのも面白いかもしんないなあと感じつつ、今回はさわりだけお伝えする。


【カンバリ入道】
民俗学の父・柳田國男先生は妖怪の定義のひとつに、「決まった場所で決まった時間に決まったことを起こす」なんてのがある。12月24日の子どもが寝静まった後にプレゼントを届けるサンタクロースが妖怪の定義にぴたりと当てはまるのも面白い。この
カンバリ入道もその定義にピタリと当てはまる。12月31日、すなわち大晦日の夜に便所で「カンバリ入道ホトトギス」と唱えれば次の一年は妖怪と出遭わなくなるそうだ。

地方によっては生首が落ちてき、それを拾い上げると黄金になるとか、見上げ入道が現れるだとか、いろいろある。今は水洗トイレが基本になったけども、ボットン便所を知っている人間なら、あの闇の恐ろしさを思い浮かべて欲しい。無防備に、あの恐怖に向かってケツを向けるのだから、怖さは倍増。妖怪がいるかもと思い浮かべやすいシチュエーションだったのは想像に難くない。

とはいえ、今でもトイレの個室は怪異の温床になりやすい。和式のあのボットンの恐怖はなくなったとしても、無防備な瞬間が生まれてしまうトイレは妖怪の温床となりやすいのだろう。

【家鳴り】
姿は小鬼、それも相当小さな姿をしている鬼の妖怪だとされている。何をするのかは、家鳴りの名前でわかるだろう。屋敷中で色んな音が鳴り響く。障子がガタガタと動いたり、襖や戸が揺れる。地震にでも襲われているかのような状況なのだけれども、襲われるのはその家だけだという。今ならポルターガイストと呼ばれるモノだ。

UFOのような未確認飛行物体の妖怪がいることを鑑みれば、家鳴りの現象の名が西洋風のオカルト用語に置き換わっているだけなのかもしれない。

ただ、西洋ではポルターガイストは幽霊だけでなくピクシーも起こしたという伝承がある。猫又とケット・シーのように、家鳴りの役割を持った妖精が西洋にはいるのだろう。これは水木しげる大先生の妖怪千体説と連動する。どんな国でも妖怪の分類というか、その妖怪が担う怪奇は同じようなモノなのだ。

これはいうなれば、妖怪博士こと井上円了の唱えた真怪なのだろう。家鳴りは共鳴現象と呼ばれることもあるが、完全解明されたわけではない”あやかし”のひとつなのだろう。

【寝肥】
寝肥はある美人が患った病気のようなもので、寝入ると発現する。寝肥が発現すると身体が部屋いっぱいにぶくぶくとふとり、部屋中に轟き渡るイビキ。百年の恋も醒めるその有り様をみて、女は男に捨てられるというものだ。まるでジョークから生まれたような妖怪だよね。

付き合うまでは、いいおんなだったのに、いざ付き合ってみると本性が晒される。そんなおんなはザラに居る。或いは、結婚してからブクブクと肥って目も当てられない。今の時代はそうなっても離婚すれば慰謝料やらなんやらで面倒だ。江戸の頃は楽ちんに離婚もできていたのかもしれない。

まあ、好き放題に結婚離婚ができるのが良いかどうかは別として、おんなが男を騙くらかすのは江戸も平成も変わらないようだ。騙された男がきっと愚痴って生まれたのが寝肥なんだろう。はあ、難儀だね。

【いやみ】
いやみといっても、おそ松くんのアイツではない。後ろ姿は若い女に見える妖怪で、ある少年が自分の姉に見えて声をかけてみると、振り返った顔はイヤらしい顔つきの爺さんだった、なんていう伝承が残っている。これだけなら妖怪なのか、女装趣味の爺さんなのか、さっぱりわからない。だが妖怪の中には、これって本当は人間なんじゃねえの?と思わされるモノが極稀にいる。

仙台によく出たというが、同じような伝承は中国地方や山陰地方にも伝わっていたそうだ。

後ろ姿に惹かれて前を覗きこむと醜女だったり、老女だったりなんてのは、ぼくだって経験がある。あれはとってもガッカリ感があるものだが、それが爺さんだったらこれはもう妖怪だろう。性別を間違えるほどの事態が起これば、そのショックは想像だにできない。でもなあ、東京なら秋葉原や中野、或いは渋谷あたりに居そうなんだよなあ。関西だったら難波かな。今でも、そういう存在がいるのだけれども、もしかしたらあいつら全員妖怪なのかもしれない。

【山地乳】
コウモリが歳を食えば野衾になる。この妖怪が年を食うと山地乳となる。この妖怪は熟睡しているひとの寝間に現れ、その寝息を吸うという。これで血を吸えばドラキュラのようだけれども、ひとの姿ではないから、ちょっぴり違う。息はたましいの意味もある。どちらかといえば、インキュバスやサキュバスに近いのかなあ。

だとすれば、あの夢魔は浮気の言い訳にもされた妖精なのだから山血乳もそういう類なのかな。もしかしたら、夜這いの言い訳だったとか。

ドラキュラの吸血は性交のモチーフだそうだ。夜の眷属だのなんだのと言われる怪異は性的な意味が強い傾向があるのかしら。創作に妖怪を登場させるなら、そうした本来の怪異、妖怪のもっているモチーフをきちんと取り扱っているものが好きだなあ。嗜好的な意味で。そういう意味では地獄先生ぬ~べ~は凄いなあっと。


妖怪はいいなあ。考えているだけで、文化的背景が見えてくるから。都市伝説と江戸妖怪のモチーフを繋げてみたい。妖怪は本当に広がりのある存在だから、いくらでも遊び方が思いつく。この思惟の玩具はだからこそ、いつまでも伝承されつづけているのかも。

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